吉田重信展 ヒカリノミチ 2024【終了しました】
光を直接見ることはできない—そのことを知ったときはもちろん、今でも少し混乱する。私たちは、光が当った物質を見るのであって、光そのものを見ているのではない。そもそも光は、携帯電話の電波と同じ電磁波であり、可視光線は、その中でも波長のごくごく狭い領域にすぎないのだ。さらに光は粒子であり波であると物理学はいう。理屈は通っていても、およそ腑に落ちなかった。
吉田の作品と光のことを考えるとき、筆者は四十年前に本人から聞いたことを思い出す。百号ほどの画面に、スクラップ状態の自動車ボディーが、鎖や鉄棒で縛りつけられた作品。吉田によれば、ただの自動車ではなく、事故車であることが大事なのだという。それを知って、その作品が、技術や構図といった美術的な観点を超えて、異質に感じられた理由が解った。吉田は表現のコアに、物を浮かび上がらせるが、それ自体は見えないものを据えていたのだ。当時は、霊?と考えていたのだが、もっと普遍的なもの—光だったことが、その後の作品群で明らかになっていく。
虫眼鏡で紙を焼く。光ファイバーを使った集光装置で太陽光を暗室に持ち込む。プリズムで分光した光景を記録する。鏡によって水をプリズムに変える。窓ガラスにカラーシートを貼り、室内を透過光で満たす。吉田の歩みは、メディアとしての光を表現するものになった。電波が振動して音を届けるように、メディアは物を情報に変化させる。光も存在としては粒子、運動すれば波になる、ということなのだ。その表現過程で吉田自身が、光を媒介するメディアとして逆転したようで、子どもの靴のインスタレーションや漆、絵の具を重ねた作品でさえ、光の問題として見えてくる。
光は、その行く手をさえぎるものが表れない限り、私たちには宇宙の暗黒が続くように感じられる。逆に常に光が当たって物が見えているとき、光のはたらきを見逃しがちになる。水をプリズムに変えて、分光された虹を樹木に投射する作品は、その虚をついたように、光と水と樹木が出会うことが、得難い機縁だったことに気づかせてくれた。水の波が、光の波を増幅して、樹木を恩寵のように照らし出すのだ。それは光の粒子として画面に定着されている。
今回、吉田のヒカリノミチで砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)が照らし出される。そこにコンデンサーのように貯められてきた九十年分の光が、吉田の作品と万華鏡のように干渉しあう場になるだろう。
小泉晋弥(茨城県天心記念五浦美術館館長)
開催期間:2024年5月15日(水)~7月7日(日)
開館時間:午前9時~午後9時
休館日:月曜日
会場:砂丘館
料金:観覧無料
会期中の催し(要申込)
*申込時にいただいた個人情報はこの催しに関する連絡以外には使用しません。
ギャリートーク1
「ヒカリノミチ2024を歩く」
吉田重信+小泉晋弥(茨城県天心記念五浦美術館館長)
5月18日(土)午後2時~3時半
参加料1000円 定員40人
ワークショップ「虹ヲアツメル・虹ノカンサツ」
6月29日(土)午前10時~12時
参加料 1000円 定員15人
*幼児は無料(保護者の方のご参加が必要です)
ギャリートーク2
「新潟の光・福島の光」
吉田重信+大倉宏(砂丘館館長)
6月29日(土)午後2時~3時半
参加料500円 定員40人