西大畑・旭町とは…湊町新潟市の海岸沿い、近代に開発された砂丘地周辺。お屋敷、別荘、レトロな洋館、学校、さまざまな文化施設が点在する坂の町です。

西大畑、旭町について

映像展示2023 吉原悠博 風景の諷刺 新潟(前期)/mikkyoz017(後期)【終了しました】

開催期間:吉原悠博「風景の諷刺 新潟」8/2-13 mikkyoz017 8/16-27

開館時間:9:00~21:00

定休日:月曜日

吉原悠博 風景の諷刺 新潟

私は、詩人の鈴木良一さんを、

朱鷺メッセの展望台に誘った。

共に、新潟の風景を俯瞰で見たかったからだ。

二人の記憶が共鳴し、

いくつもの言葉とイメージが浮かびあがった。

※タイトル「風景の諷刺」は、私の先祖・吉原重雄が昭和14年に出版した詩集から引用した。

mikkyoz017

1945年8月14日午後10時半頃から翌15日の未明にかけて、秋田県秋田市土崎は約4時間にわたり空襲を受けた。

ポツダム宣言受託によって日本が無条件降伏をする半日前だった。

日本で最後の空襲とされている。

 

78年後の土崎。

空襲から逃れようとした人々が押し寄せた光沼には1本の菖蒲が咲いていた。

 

映像展示について

砂丘館の「映像展示」は2012年1月にmikkyozの音・映像を砂丘館ギャラリー(蔵)で展示したことに始まる。2019年までは毎年同じ真冬にmikkyozの音・映像の新作を紹介してきた。

2020年1月~3月にはmikkyozに加え2人の映像作家(原田健一と大川景子)の作品を紹介した。同年12月~2021年2月にはジャン-フランソワ・ゲリーの写真を映像化したものとmikkyozの新作、21年4~5月にはデニス・ブランの映像とmikkyozの映像を担当する遠藤龍の作品を、そして22年にはAyano Hattoriとmikkyozの新作を展示した。この時から告知に映像「展示」と書くようになった。上映には映写開始から終了まで見る側が席に体を固定されるというイメージがあるが、ここでは映写が行われている場に、展示室のように自由に出入りするようにしたことから付けた言葉でもある。この方式は各地の芸術祭や美術館等で映像作品を紹介する、いまや標準型でもあるが、それが映像制作者にとってはたしてどういう意味を持つかは、改めて考えてみる必要があるかも知れない。

「映像展示」としたもうひとつの理由は、砂丘館ギャラリーは蔵の一階と二階からなるが、mikkyozの場合2階で映像を「展示」しながら一階では遠藤の写真を文字通り展示する構成がよくあったからだ。

今回は砂丘館で2018年に短期間の展示*をしたことのある吉原悠博が、今回のために制作した新作を前半に展示するが、一階はやはり展示(インスタレーション)となる予定だ。後半に今年もmikkyozの新作を紹介する。

砂丘館ギャラリーに「映像」が登場して13年。昨秋、新潟市美術館の企画展「新潟映像祭」(11/1日~2日)でmikkyozの過去作がまとまって紹介され、それらを最初に見たいくつもの冬を思い出した。新潟のすぐれた映像作家である吉原の仕事も、今後継続して紹介していきたいと考えている。「映像展示」はいまや他のいくつかの催しとともに、砂丘館の歴史を刻む、目盛り/memoryになってきたようだ。

大倉宏(砂丘館館長)

*2018年9月14日~2018年9月17日に『シビタ2018』を4日間限定で展示した。

ギャラリートーク

8/11 14:00-15:30

吉原悠博+遠藤龍(mikkyoz)+鈴木良一(詩人)

聞き手:大倉宏

定員25名 参加料500円 申し込み不要(直接会場へ)

 

 

吉原悠博(よしはら ゆきひろ)

1960年新潟県新発田市に生まれる。東京藝術大学油絵科卒業。「吉原写真館」6代目館主。「写真の町シバタ」実行委員長。「新発田まち遺産の会」副実行委員長。敬和学園大学非常勤講師。1981-2004年、東京/ニューヨークを中心に活動。メディア・インスタレーション《プレジャードーム》(1989)、アメリカ人の作曲家ロバート・アシュリーとの現代オペラ《Improvement》(1994)、《 Dust 》(1999-2001)等。現在は、故郷である新潟県新発田市に活動の拠点を移し、郷土史を題材とした映像作品、《新川史眼》(2011)、《シビタ》(2012)等を発表している。《培養都市》(2015)第20回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞受賞。前衛芸術家・久保田成子に捧げた映像作品 《River》(2021)。

 

mikkyoz

le+遠藤龍 2009年より映像、音響を用いた創作活動をおこなっている。